大塚 一輝 / 義足の未来を変える会 代表
「義足になっても人生が終わるわけではない。義足を履いて、また新しい人生が歩めることを知ってほしい。」そう話すのは、自ら右大腿部の切断を経て義足を履いている大塚一輝(おおつかかずき)さんです。
大塚さんは、義足を履き始めて2年半となりますが、34歳のとき、感染症の影響で右足の切断を余儀なくされました。ですが、妻の前向きな言葉もあり、今では義足とともに過ごす日々を、自ら発信しています。そんな大塚さんが目指す「義足を履いている人への偏見がなくなり、義足が当たり前に馴染む社会」についてお聞きしました。
17歳で突きつけられた現実、そして選択

大塚さんは、34歳の時に右大腿部の切断をしていますが、遡ること17歳の高校生の時に右膝痛に悩まされたことがきっかけだと言います。
「17歳の時、右膝関節に違和感があり整骨院に数カ月通うも、思うように症状が改善しませんでした。そのため、整形外科を受診したところ、MRIで腫瘍がみられるから大学病院を紹介すると言われ、大学病院に行くと“骨肉腫(がん)”であることを宣告され、即入院となりました。まさかという思いもあり、これからどうなるのだろうと不安で仕方がなかったのを覚えています…。」
「大学病院の主治医からは、“切断”するか“人工関節”にするかという選択があると言われました。どちらの選択でも抗がん剤の治療は受けなければならず、当時17歳の私は難しい選択を迫れていました。決断前に抗がん剤治療は始まっていたので、精神的な不安定さがありましたが、両親の後押しや主治医の先生からの勧めもあり“人工関節”を入れることにしたんです。」
「もちろん、手術を受ける前も大変でしたし、自らの足がこうなるなんて…。という思いがありました。ですが、高校の仲間の支えもあり、困難な治療を乗り越えることができたのです。」
「17歳の当時、足の切断のことや義足の情報を調べていたのですが、なかなか情報が得られず、参考になるものがなかったのです。そのこともあり将来のことが不安ではありましたが、まずは治療に専念して人工関節でも歩けるようになろうと思ったのです。」
そう当時を振り返る大塚さんですが、まだまだ試練は絶えないようでした。
切断を決断して、“大腿義足パパ”になる

「人工関節を入れてからも半年に1回はフォローアップのMRIでの経過と診察が続いていました。このフォローアップも5年間問題なければ“完治”という判断になります。ですが、5年経過しても人工関節の影響で感染症による発熱が半年に1回は起きていました。当時の私は、仕事や家庭もあり、騙し騙し、感染が起きるたびに病院での抗生剤や点滴治療で難を逃れていました。」
「ですが、34歳のある日、39度の高熱が続き、大学病院で検査したら「人工関節で感染症が影響している」と判明しました。その後、3か月点滴治療しましたが改善の兆しはありませんでした。主治医からは“どこかでこの悪循環を止めないと…”という言葉もいただき、妻にも相談しました。妻も情報を集め、最善の選択として“切断しよう!”と前向きに声をかけてくれました。もし、切断の選択を一人でしなければいけなかったのであれば、私は“切断”選択することができなかったと思います。妻の支えがあって、私は右足を失う選択をしましたが、その先の人生を明るい未来にしたいと思って切断を決意したのです。」
「34歳の当時も“切断”や“義足”について情報を調べたり、主治医に聞いてみたものの、私が本当に知りたかった情報は得られず、不安な日々を過ごしていました。今後、同じような悩みを抱える人々が切断することや義足になることを考えたときに、もっとリアルな情報が欲しいと思ったのです。」
このことをきっかけに切断後、「大腿義足パパ」という立場から義足でのリアルな日常を発信することになります。
義足の未来をつくる活動へ

現在、大塚さん「義足の未来を変える会」として、主に二つの活動を展開しています。
「一つ目は、義足でのリアルな生活や障害者の仕事事情についての情報発信です。私自身が17歳の時、34歳の時に知りたかった“切断”や“義足”の情報について、これから切断するかもしれない、義足になるかもしれない人の不安が軽減できればと思って発信しています。すると、同じように足を切断するかの決断を迫られている方からお問い合わせが入るようになり、自分の情報発信が役に立つこともあって、この活動を中心に続けています。」
「二つ目は義足となったときに利用できる制度について政策提言しています。私も義足を履くようになって初めてわかりましたが、現在の福祉制度の利用がしづらい状況であったり、制度を活用したいと思っても使えない場合があったりと課題があります。そこで義足の学会や全国の義足を履かれている方、義肢装具士にSNSを活用してアンケートを行い実態調査して、要望書を厚生労働省に提出や意見交換もしました。現在義足を履いている方、これから義足を履く人々の生活がより良くなるための社会づくりになるよう政策提言をさせてもらっています」

「この二つの活動を通じて、義足でも生活しやすい社会環境の整備を行い、“義足だから特別扱いされる”ではなく、義足をつけていても社会に馴染んでいて普段通りに生活できる社会を実現できればと思っています。」
「私自身、あまり先頭に立って活動ができる人ではなかったのですが、妻の後押しや義足になって知り合いになった色んな方々の共感や後押しもあり、“義足の未来を変える会”として活動を続けられています。
今後の活動 ― 義足をもっと身近な存在に。講演活動で届けたい想い ―
「今後は小・中・高等学校や医療系大学での講演活動を行い、「義足とは何?」を広めたいと考えています。街中で車いすを見ることはあっても、義足を直接見る機会はほとんどないため、まずは若い世代に“義足”という存在を知ってもらいたいです。また、足を切断したら終わりではない、“明るく生きることはできる”という思いも伝えていきたいですし、それを支える“義肢装具士“という義足を作る職業も伝え、より多くの人に未来の選択肢として考えるきっかけになるための活動もできればと思っています。講演活動にご興味がある方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。」

読者へのメッセージ
「義足になっても人生終わりではない。新しい人生があることを知ってほしいと思っています。リアルな義足の生活や日常を知ってもらうことで、いろんな方の不安や偏見が軽くなるきっかけになれば嬉しいです。そして、もしあなたや大切な人が困難に直面しても、「一人じゃないよ」と希望を伝えていきたいです。」
温かい応援メッセージお待ちしております